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| 正式名称 |
| オーストラリア連邦(Commonwealth of Australia) |
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| 首都 |
| キャンベラ |
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| 州都 |
ニューサウスウェールズ州(NSW) シドニー
ビクトリア州(VIC) メルボルン
クィーンズランド州(QLD) ブリスベン
南オーストラリア州(SA) アデレード
西オーストラリア州(WA) パース
タスマニア州(TAS) ホバート
首都特別地(ACT) キャンベラ
ノーザンテリトリー(NT) ダーウィン |
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| 国旗の由来 |
オーストラリアが連合国家として誕生するまでの約100年、公式の旗として使われていたのはユニオン・ジャック。現在の国旗が生まれたのは、1903年2月。世界的規模でおこなわれたコンペにて選出されたものに手を加えたものでした。
これが正式に法律で承認されたのが1953年。The Flags Act 1953(国旗法)が11月に国会で可決され、正式にAustralian National Flagという名前になりました。 |
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| 国の色 |
| 緑と金 |
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| 広さ |
面積 769万2000ku(日本の約20倍、世界で6番目の広さ)
東西が約4,000km、海岸線が約3万6,700km |
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| 人口 |
| 人口 1920万人 |
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| 言語 |
| 英語 |
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| 時差 |
| 時間帯は東部、中央部、西部の3つに別れているので、日本との時差も地域によって違いがあります。また、州によってはサマータイムを実施しているので、注意が必要になります。NSW、VIC、ACT、SA、TASは10月の最終日曜(TASは第1日曜日)から翌年3月の最終日曜まで実施しています。サマータイム時は下記の時差にさらに+1時間。QLD、NT、WAはサマータイムを実施していません。 |
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| 通貨 |
| オーストラリアドル(A$) |
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| 歴史 |
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| 先住民族アボリジニ |
| ヨーロッパの移民の到着の前に、先住民族アボリジニは、異なったライフスタイル、異なった宗教、異なった文化、さらに異なった言語でオーストラリアの大陸の大部分の領域に居住しました。環境に順応性があり、創造的で、単純ではあるが非常に効率的なテクノロジーで、土地と環境との深い関係を反映している複雑な社会制度と非常に発達した伝統を築きました。 |
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| ヨーロッパ人の来訪 |
大航海時代に入ったヨーロッパ人は羅針盤と航海術の進歩により世界に乗りだし、16世紀半ばまでに南北アメリカの存在を明確にしたが、ヨーロッパ人によるオーストラリアの発見は17世紀になってからのことである。1606年3月のオランダ人の探検家W・ヤンスゾーン(c.1570 - 1630)は、西海岸にあるケープヨーク半島(クイーンズランド)に到着した。これが初めて記録されているヨーロッパの接触である。
キャプテン・クックの領有化宣言と植民地成立
イギリスの探検家のキャプテン・クックは1770年4月29日、エンデバー号に乗り、ボタニー湾(シドニー郊外)に上陸して領有を宣言、入植が始まる。アメリカの独立宣言により、1788年からアメリカに代わり流刑植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団1030人の内、736人が囚人でその他は殆どが貧困層の人間であった。 |
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| 広がる植民地 |
| 当初は食糧難や天然痘の蔓延、治安の悪化などにより、思うようにはかどらなかった植民地の建設も、90年代に入り好転し出した。1828年には内陸を探検し、農牧地の開拓もだいぶ進み、全土がイギリスの植民地となる。その段階で先住民から土地を取り上げて放逐し、反抗者は(時には反抗しない者も)殺害した。1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられている。 |
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| ゴールドラッシュと都市化 |
ゴールドラッシュが当時のオーストラリアの経済と国としての発展に巨大な影響を及ぼしたということに疑いはないでしょう。1851年オーストラリアのゴールドラッシュの先鞭をつけたのはNSW南西のバサーストで砂金を発見したハーグレーブズという男で、これに刺激を受けたビクトリア植民地は金発見委員会を作り、採算にあうような金鉱を見つけたものには報奨金を払うとした。
この報奨金を目当てに一攫千金を狙う金鉱堀りが大量に集まり、ビクトリアの人口は10年で9.7万人から53.9万人に増加した。さらに、ゴールドラッシュは70年代にクィーンズランドに、90年代には、西オーストラリアにもブームを巻き起こした。その後、 ゴールドラッシュの終焉とともに、労働者層は過酷な自然状態の内陸部から都市に舞い戻り、東海岸の都市部への人口の集中が進んだ。 |
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| オーストラリア連邦の成立 |
1850年の植民地政府法の制定により、オーストラリア各植民地は植民地憲法を制定し、自治政府と内閣制度をもち、普通選挙の導入など、植民地ながら近代的政治システムを備え持つ社会となった。自治植民地となったことから各植民地境界の存在がもたらす不都合さ(郵便、交通、通信、鉄道等のインフラの不統一など)が次第に認識されるようになり、連邦政府の樹立の機運が高まってきた。
1891年、オーストラリアの6植民地代表にニュージーランド代表を加えて行われた「オーストラレイジア国民協議会」各植民地の一般投票において連邦化を決定したが、NSW議会がこの決議を認めなかったため、連邦化への道 は挫折した。
その後10年にわたり、幾多の議論が交わされ、1901年1月1日、ニュージーランドを除く6植民地が、ついにオーストラリアとして発足することとなり、イギリスから事実上の独立をする。 |
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| 第1次世界大戦の影響 |
| 第一次世界大戦は、オーストラリアに破壊的な影響を及ぼしました。アンザック軍(ANZAC)と呼ばれるオーストラリア、 ニュージーランド連合軍は1915年4月25日、トルコのガリポリ半島においてオスマン・トルコ軍との激戦を交えました。オーストラリアの男性の人口約300万人のうちほぼ400 000人は戦争で戦うと申し出て、60、000人は死に、数万人は重症を負いました。その代償とし得たものは国際連盟への加入であり、オーストラリアは国際社会において独立国として認められることになった。オーストラリアにとって敗戦であったにもかかわらず、ガリポリ戦はオーストラリア人のナショナリズムを大きく刺激する事件となり、後にアンザック・デイとして記念されることになる。 |
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| 第2次世界大戦と英国離れ |
| 第二次世界大戦の間、オーストラリア軍隊は、ヨーロッパで、そして、アジアと太平洋で連合国の勝利への重要な貢献をしました。フィリピンから撤収したマッカーサー米司令官が、ブリスベンに対日反抗基地を置いたことから、 オーストラリアは対日戦の基地としての役割を果たすこととなるが、日本軍の爆撃や特殊潜航艇によるシドニー港攻撃を受け、町は壊滅状態となる。さらにパプア・ニューギニアやボルネオで日本軍と戦い、日本占領にも参加した。この戦争により、オーストラリア人の国民意識は高揚し、独立国家としての明確な国民意識を持ち始めることとなった。 |
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| 白豪主義から多文化社会へ |
戦後、ヨーロッパ等からの白人移民は減り続け、さらに国防、経済両面において適正な人口が必要であるという認識が強まり、1960年代から白豪主義を転換し、世界中から移民を受け入れる「多文化主義」へと移行した。今日では人口構成が多様化し、移民全体に占めるイギリス系の割合が減少してきたのである。当初、移民政策はメルティングポット型の同化を期待していたが、その後変更され、法の前の平等、機会均等の保証し、母国語や文化の維持を認めるという文化多元化主義を採用した。
さらに、70年代後半には、積極的に彼らの文化や言語維持のために援助を行うという方向への転換が見られたが、今後どのような形で移民政策、人種政策が展開されるのか目が離せない状態になっている。 |
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| 日本人居住者数 |
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| ビザ |
オーストラリアに滞在、又は永住するために必要なビザにはおおまかに分けると次のような種類があります。
・観光ビザ(ETA)
・学生ビザ
・ワーキングホリデー・ビザ
・ビジネスビザ
・永住ビザ
観光ビザ (ETA) |
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| 観光ビザ(ETA) |
| 世界でも優れた入国認可システムであり、3ヵ月以内のオーストラリアへの入国を電子上で許可するものです。ETAは商用を目的とした入国も認めているが観光ETA所持者は就労してはならないのが原則です。 |
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| 学生ビザ |
| フルタイムで正規の学校、又はオーストラリア政府に登録されているコースへ行く場合、その期間分のビザが発行されます。また、それとは別に申請することにより週20時間の労働が可能になります。 |
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| ワーキングホリデー・ビザ |
| 18歳から30歳までの人を対象としたものであり、一年の休暇としてゆっくりする人もいれば、海外での仕事の経験を積みたいという人もいて、目的は様々。ワーキングホリデー・ビザに関するルール(年齢、ビザ期間、同じ場所での労働期間、など)の変動が、激しいため、常にチェックする必要あり。 |
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| ビジネスビザ |
| 基本的には、商用目的のビザで大きく分けて三種類あり、申請条件もさまざまです。海外で、独立してみたい方、企業の下で働きたい、働いている方、また海外投資を考えている方のためのビザ。 |
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| 永住ビザ |
| 永久に住むことのできるビザであり、取得条件、目的もさまざま。他のビザと違い、就労や転職に制限がなく、SOCIAL SECURITY ENTITLEMENTSもしっかり受け取ることができます。 |
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| 検疫 |
| オーストラリアは独自の自然・生態系を守るために、厳しい検疫基準を設けています。入国の際やオーストラリア国外から荷物を送る場合には、特に食品類などに気をつけましょう。申告すれば持ち込み可能なものもあるので、もし食品や動植物でできた品物等をお持ちの場合には機内で配られる入国カードの項目欄に印をつけて申告しましょう。詳しくはオーストラリア検疫検査局などで必ず確認してください。 |